結婚したのに、どうしてこんなに苦しいの?

もし今、あなたが
「結婚したのに、どうしてこんなに苦しいのだろう・・」
そんな思いを胸に抱えているとしたら
その気持ちはとても自然なことじゃないか・・と私は思います。

誰かと生きていくということは
思っていた以上に、心の奥を揺らすものです。
言葉にできない寂しさや
どうしようもない違和感を抱えながら
静かに日々を重ねている人は・・想像以上におられると感じています。

相手に「わかってほしい」と思いながら、
うまく言葉にできず、
自分でもどうしたらいいのか、わからなくなる。こころが、迷子になってしまう。

どんなにしんどくても
「こんなこと言ったら、空気が悪くなるかな」
「せっかく一緒にいるのに、水を差したくない」
そう思って、本当の気持ちを胸の奥にしまい込んでいくことは、ありませんか。
ただ、「私は今、こんな気持ちなんだ」と伝えたい。
伝えたいだけなのに・・・
その一歩が、どうしても出てこないことがあります。

相手の表情を読んで
機嫌をうかがって
なるべく波風が立たないようにふるまう。
気づいたら、自分の感情より
「どうしたら角が立たないか」を先に考えるのが
あたり前になっていた・・・
そんなことはないでしょうか・・

周りから見れば
「仲の良い夫婦」「問題のない家庭」に見えるかもしれません。
けれど、家の中で耳をすませると、
誰にも聴こえないところで
あなたひとりの胸の奥で、小さな叫び声が降り積もっていく。

「このままで・・本当にいいのかな」
「こんなふうに感じている自分がおかしいのかな」
そんな声のかけらが
何度も心の中で降り積もっていく・・


あなたは、これまで誰かに寄り添おうと精一杯、踏ん張って生きてこられたのではないか…と想います。
だからこそ、自分の本音よりも
「相手がどう感じるか」を先に考えてしまう。

けれど、本当の意味で相手に「寄り添う」というのは
どちらか一方が我慢しつづけることではない・・と思います。
相手の気持ちを汲み取りながら、「自分の心が何を感じているのか」を
そっと確かめていくこと。

「いい妻でいなければ」
「結婚したからには、こうあるべき」
そんな見えない言葉が、
心のどこかに居座っていることがあります。
その声が強くなるほど、
自分の本当の感情は、小さな声になってしまいます。

私も、かつてこの心の中に居座っていた“呪い”に苦しんできました。
その呪いは、誰かから直接言われた言葉というよりも
まわりの空気感や
「こうでなければ愛されない」という恐れから生まれたものでした。

幸せのかたちって、たったひとつではない。
「こうあるのが幸せ」と決めた枠の中に自分を押し込めていくのではなく
自分のからだの感覚やほっと息をつけるできる瞬間、
自分が本当に大切にしたいものって、どんなことなのか・・手探りで確かめながら
少しずつ「自分に合う感覚と在り方」を選び直していくこと。

それは、大きな決断をすることを目指すことではなくて・・
今日一日のなかで、自分のための時間を少し増やしてみること。
しんどいときに「しんどい・・」って言える相手を
一人だけでも持ってみること。
「本当はどう感じているのか」を
自分にだけは正直に打ち明けてみること。
そんな小さな選び直しも
れっきとした「幸せのかたちを、自分の呼吸で選び直す」歩みだと
私は思っています。

結婚しているかどうかにかかわらず、
あなたが「どう在ると、心が少し楽になるのか」
その問いに耳を澄ませていくことは、
誰のものでもない、あなた自身の人生を
大切に扱っていくことにつながっていきます。

自分の中に長く居座っていた“呪い”の声は、
すぐに消えるものではないかもしれません。
けれど、その声を「まだあるな…」と感じられるようになったなら
その呪いとのあいだに、
ほんの少しのすき間が生まれ始めているということでもあります。

そのすき間に、いつかふっと深い息が入り込んでくるかもしれません。
「自分の心は、本当はどう感じているのかな・・」という問いが
そっと心に浮かぶ日が来るかもしれません。
それも、かけがえのない一歩なんだと・・私は想っています。

ひとりでは、抱えきれそうもない・・と感じるときは
誰かといっしょにその声を眺めてみてもかまいません。
こころのねっこ相談室 よりぽのは、
あなたの中に生まれはじめたその「すき間」をいっしょに大切にしながら、
今の気持ちをそのまま置いておける場所でありたいと想っています。