🌿 よりぽのが生まれた理由

私は、若い頃からずっと「誰かのために」と生きてきました。 けれど、その裏でいつも、自分の心を後まわしにしていました。

大学を卒業する直前、親友から「あなたの彼と、実は付き合っている」と打ち明けられました。

親友や彼に怒りをぶちまけることができなかった、その勇気さえもなかった私は、 心がずたずたのまま、保育士として働き始めました。 朝から晩まで、職場で笑顔を絶やさないように振舞っていました。 本当は笑えないのに、子どもたちの前では泣けない。 そんな自分を奮い立たせるように、ただ毎日をこなしていました。

「もう二度と恋なんてしない」と思っていた頃、 先輩保育士から紹介された男性と出逢いました。戸惑いのなかでお付き合いを始めて、半年で結婚。 勢いと、悲しみから逃げるような選択でした。

嫁いだ家は、閉鎖的な旧家でした。30年前の当時は、まだ昭和の色濃い世相でしたが、その旧家のある集落は江戸時代の風習を多く残していました。 文化の違い、価値観の違い、そして“話の通じなさ”。 孤独の中で、少しずつ自分が壊れていくのを感じました。

「この集落が、全部焼けて無くなればいいのに」と思うほど、 心は追い詰められていました。


そんな中、娘が生まれて、私は〝やっと自分の家族が来てくれた〟ような気持ちを抱きました。けれど、夫は育児にも家事にも関われず、完全なワンオペ。 夫は原因不明の難聴となり、コミュニケーションが断たれました。 筆談で必死に支えようとしたけれど、夫は絶望の中で心を閉ざし、無意識のうちに自分のジレンマを私に当たるようになりました。 やがて、私自身が抑うつ状態になり、 半年ほど、引きこもるような育児をしていました。

あの頃の私は、生きる力が少しずつ奪われていくのを感じていました。 「もう終わりにしたい」と思う夜が何度もありました。 それでも、壊れかけた自分をつなぎとめてくれたのは、 目の前で懸命に生きる小さな娘の存在と、 外の世界で出会った“仕事”という場所でした。 療育の現場で、子どもやお母さんたちと触れ合う中で、

「人の心は、何度でも立ち上がれる」

そう感じる瞬間が、少しずつ増えていきました。


今、思うのです。 あの時の私が求めていたのは、 「こころのねっこ相談室 よりぽの」のような場所でした。

日々誰かのためにと思って自分を後回しに生きてきた女性が、 そっと自分の心に戻ってこれるような場所。

自分のことを、まるごと受けとめてもらえる居場所。

だから私は、あの頃の自分に贈るような気持ちで、 この相談室を立ち上げました。

家族に何らかの生きづらさを抱え、 “支え手”であることをやめられない女性が、 自分の力を思い出せるように。

そして、 「人生は、まだ変えられる」 「もう一度、自分の心に光を灯せる」 そのことを思い出してもらえるように。 それが、よりぽのが生まれた理由です。